言葉

2007年1月3日
「最近の日本語は乱れている」という物言い。
あれがどうも引っかかる。

というのも、上記の言葉を発する側のほとんどが、頭の固いおっさん連中だからだ。

結局、日本語に正しいも間違ってるもないのではないか。
俺は常々そう思っている。
若者が使っている日本語が間違っていて、おっさん達が使っている日本語が正しいなんて根拠はどこにもない。
ひょっとしたら、21世紀は日本語の歴史上大きな転換期にあたる年で、今後若者が使っている日本語がスタンダードな日本語としての歴史を積み重ねていく可能性も無きにしも非ず、なのだ。

世の中に、歴史上既存する概念とはかけ離れた全く新しいものが生まれる瞬間は、人類が生まれてからこの方いくつもあったことだろう。
その時々で、生態条件上、あるいは物理的理由上、時代が求める概念が生き残り、時代に取り残された概念が淘汰されていくのは自明のことである。
そうやって人類の歴史は作られてきた。

「古いものが全て正しい」という物言いが成り立つのならば。
恐竜以外の生命体は全て間違っている存在なのではないか?

でも事実はそうではない。
恐竜は、地球上の風土や気候条件に己の生態系を適合させることが出来ず、絶滅の途を辿った。
つまり、恐竜は、時代の流れに淘汰された存在であり、それ以降に生まれ、今日まで受け継がれている全ての生命体が生き残るべき存在なのだ。

言葉も同じものなのではないか。
日本中、どこを探しても、古代・中世の言葉を未だに使用している民族はいない。

それは、古代・中世の言葉がもはや“必要のない”ものだったからだ。
古い言葉が時代と共に淘汰され、より広く、より機能的に用いられる言葉が取捨選択され、様々な転換期を迎える中で形を変え、今日まで受け継がれている。
それが言葉の歴史というものだ。

「最近の言葉は乱れている」という物言い。
これはつまり、上述したような言葉の歴史に抗っているだけの、非常に前時代的な考え方である可能性もあるのだ。

もちろん、ひょっとしたら本当に、若者言葉が言葉の歴史上極めて異端的な存在であり、異質なものとして歴史の流れの中でたまたま発生したものである可能性もある。
しかし彼ら(「最近の言葉は乱れている」という物言いをする連中)は、一方的に「古いもの=正しいもの」という固定概念を押し付け、ただ闇雲に若者言葉を否定し、非難し、中傷する。

自らを省みることなく、このような物言いを押し付ける連中のことが、僕は大嫌いだ。
時代の流れについていけず、ただ自己が認めたもの以外に対して言われのない非難を繰り返し、みっともなくわめき散らすだけの大人とは、端から見てとても見苦しいものである。

全てを理解した上で「あれは間違っている」と言い切ることと、一つも理解できないものに対して「あれは間違っている」ということ。
同じ現状否定でも、両者は決定的に違うものだ。
自己が淘汰されつつあることに気付かず、悪あがきをするような連中にはなりたくない。



現代の若者言葉と、大人言葉。
どちらが正しいかは、いずれ時の流れが証明してくれるだろう。
それがいずれ明らかになるまで、自己反省を繰り返しながら、生き長らえるとしよう。



※ということで、明けましておめでとうございますw

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