僕は、中学校に入学してから23歳になるまでずっと野球をやっていて。
技術は大して身に付かなかったけど、なんつーか、スポーツのメンタリティに関してはたくさん学んだ気がする。
そして、その中のいくつかは、スポーツに留まらず、私生活のあらゆる場面で流用することが出来る。


まず、スポーツは、結果が全てだということ。
例えどんなにたくさん練習しても、試合で負けたら全ての練習が嘘になる。

だから、優れたチームは、ただがむしゃらに練習しない。
自分のチームの戦力を冷静に見つめ、弱点を発見し、そこを補うための練習だけをしっかりとする。

だから、むやみやたらに努力するだけではダメだという事。
その代わり、自分に至らないところがある場合は、徹底的にそこを鍛えることが出来、克服することが出来ること。
こういうチームが試合で勝てるチームだと思う。

これは、仕事やその他の私生活でも流用できることだと思う。
ただ自分の好きなことや自分が思っていることをやっているだけでは上には行けない。
現実と比較して、自分の足りないところを客観的に見つめ、そこを克服出来る者だけが上に進むことが出来る。

そのためには、自分を冷静に見つめることが出来ること。
自分の弱点を素直に認めることが出来ること(これが結構勇気がいる)。
そういう力がないと、どんなに努力しても空回りするだけだ。


もう一つ、スポーツで大事なのは。
練習で鍛えた力を、本番できっちりと発揮できること。

練習で出来たことを試合でも普通に出来るチームが強いチームだ。
試合の流れでの勢いとか、そういったもので勝敗が付く場合もあるけど、長い目で見た場合、戦力にムラがなく、常に同じ戦い方を出来るチームが勝ち上がることが出来る。

練習では出来たけど試合では出来なかった・・・というのは、結局はその“出来た”と思えた技術が身に付いていなかったということ。
それはその人/チームにとっての本当の力とは言えない。本当の力とは、本番で発揮できてこそのものなのだ。

私生活でもそうだ。
口ではいくらでも言えるけど、その行為を私生活のあらゆる場面で活かすことが出来なければ、その人は口だけの存在であるとしか言えない。
逆に、口では何も言わなくても、きちんとやるべきことをやれる人が、本当の意味で“できる”人なのだ。

人生にリハーサルはない。
朝起きてから夜寝るまで。
ひいては、生まれてから死ぬまで、全ての瞬間が「本番」だ。

その中でも、就職とかプロポーズとか危機的状況とか、特に重要な局面を“試合”とするならば、普段何気なく暮らしているあらゆる状況が“試合”で力を発揮するための“練習”だ。

“練習”で手を抜いていては“試合”では勝てない。
“練習”で出来ていても“試合”で出来なければ意味がない。

“試合”では、今まで普段の“練習”をどのような態度で臨んでいたかが、如実に出る。
“練習”を怠けるなどもっての外だが、“試合”で自分が持てる力を発揮できないのもまた、同じぐらい愚かなことである。


これ以外にもいくつか当てはまる法則があるけど、長くなりそうなので今日はこの辺で。
「生きることは、スポーツだ」っていう、一時期使われていたファ●テンのあの宣伝文句は、とても深い言葉だと俺は思います。

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