HUMAN BEING

2006年8月18日
「教育改革とは、つまり社会改革のことである。」


とある教育学者の言葉。


そうなんだよなぁ。
社会の発達なしに教育の存在はありえなかったわけで。

だって、俺たちが住む社会が未開の荒野で俺たちがそこに住みつく動物だったら、教育なんていらないんだぜ?
生きていく上でのやり方とかルールを日々の生活の中で覚えればいいだけで、「より良く生きる」なんつー概念は必要なくなってくる。

つまり、教育とは文明社会が生み出した産物なんですよ。
文明が発達する度に教育改革が声高に叫ばれる。
文明が発達しなければ、そんなことに頭を悩ます必要はなくなる。


だけど。


もし俺たちの住む社会が未開のままで。
俺たちが、動物のままだったら。


きっと、きれいな風景を見て感動する気持ちだとか、美味しいものを食べて嬉しく思う気持ちだとか、誰かのことをいとおしく思う気持ちだとか。
そういうものは、全く感じなくなってしまう。
あるのは、「生きるために」という本能に支配された、わかりやすくて単純な欲求のみ。


それはそれで、淋しい気がする。


俺は、泣いたり、笑ったり、怒ったり、苦しんだり、時には悩んだり、落ち込んだり。
そういう、人間の持つ情緒的な一面がたまらなく好きだから、そういうものを抱えながら生きている存在がすごく素敵に見える。

動物にそういうのってあるのかな?
そりゃあ俺も犬とか飼ってるし、動物を見て「可愛いな」とは思うけど。
それは人間が持つ「動物への愛着心情」っつー情緒的な一面がそうさせるわけで。
俺が犬だったら、どんなに可愛い犬を見てもたぶん「可愛い」なんて思わないもん。
縄張り争いの相手とか、子孫繁栄のパートナーとしか見れないんじゃないかな。

そういう意味では、動物ってすげーシンプルな存在で。
だから、悩んでる時とか、イライラしてる時とかに動物を見ると、いいなぁ、こいつらこういう心配はないんだろうなぁ・・・って羨ましく思ったりもするけど。


でも、悩めるのってきっと、笑ったり感動したりすることと同じぐらい人間だけの特権だよね。
だから俺は、逃げないで、真正面からぶつかって堂々と悩んで行こうって決めました。


すげー落ちたり、らちが明かなくなって眠れなくなる時とかもあるけど、それでも“人間らしく”生きていきたいなって。

そりゃあ毎日カッコよく生きたいし、出来ることならめんどくさいことは避けたいけど、そう上手くいかないのが文字通り“人生”だもん。

時にはうじうじしたり、思い通りにいかなかったり、そんな自分に腹が立ったり、矛盾や葛藤に苦しんだり。


それでいいんじゃん?
だってそれが人間だもの・・・ってなんだかあ○だみ○をみたいだなw


まぁともかく、何事も受け止め、前向きにぶつかり、色んなことを知って、色んなことを考えて、変にカッコつけず、たくさん泣いたり笑ったり怒ったりして生きていきたいなって、ふとそんなことを考えました。

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