必然

2006年7月13日
今まで生きてきた中で、
色んな偶然に支配されながら、
様々な人と出会ってきた。

その中には、出会って何年も経ってるけど、未だに連絡を取り合ったり、仲良くさせてもらったりしている人がいる。

出会ってすぐの頃はよく分からないけど。
同じ人と何年も向き合っていれば、おのずと相手の嫌なところや汚いところが見えてくると思う。
それが人間関係というものだ。奇麗ごとだけで、人間は生きていけない。

それと同じように。
たぶん俺も、俺が意識してないようなレベルの、俺自身の汚いところを他の周りの人に見せてきていると思う。

いや、意識してない部分にこそその人の人間性が出る、のだとしたら。
俺が意識するそれよりも、周りの人から見た俺の汚いところというものの方が真実であり、事実であろう。
だからそのことに関してここで弁明するつもりはない。恥ずかしいし、情けない話だが、それもまた俺だから。
(それを直す直さないはまた別の話)


今、俺の周りにいる人は、そんな俺の部分を知っていながら俺と一緒にいてくれる。

こんな時、俺はこう思う。
「この人達と一緒にいることは、俺の人生にとっての必然なのではないか」と。


俺達は、出会いこそ偶然に支配されていたけど、その先一緒にいるかいないか、この先どういう関係を結んでいくのか、とかは、偶然に支配されたものじゃない。
偶然とはきっかけを与えてくれるものだけど、運命を決めるものじゃない。

関係性を自分達で互いに構築し、少しずつ築き上げながら。
ある時はそれを放棄し、ある時はなおも関係を持ち続ける。
そこにあるのは“偶然”なんかじゃない。自分達の意志で選んだ“必然”だ。

だから、俺とお前が今なお互いに通じ合えていられるのは、“偶然”なんかじゃないと思う。
ある種の運命に支配されながら、それが交差し、ぶつかり合う中で、自分達で選んだ結果そうなった“必然”なのだ。


だから、今ある人間関係は、偶然と必然の化学反応の末に出来上がった授かり物だ。
俺はそう考えるようにしている。


同じように。

こちらがいくらそうあることを願っても。
決して分かり合えない人、通じ合えない人、出会うことのない人も、世の中にはたくさん存在する。


出会うことが必然なら、同じように出会わないこと、別れることも必然ではないか。


その足が自分の未来に着実に向かっているのだとしたら。
その過程の中で離れていく人は、そうなることが“必然”なのだ、と俺は思う。

どんな形であれ、一度出会うことができた人と別れるのは辛いこと。
だけど、自分の未来は見失わないようにしたい。

運命は、悲惨な別れなど与えない。
全ての出会いが必然ならば、同じように全ての別れも必然だ。
つまらない胸の痛みにいつまでも足をとらわれ、歩みを止めていたら、自分が成長しない。

分かり合えないなら、もう切り捨てちまえ。
自分が信じた運命に身を委ねて、勇気を持って前に進め。
そうすることがあなたの必然だから。

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