恋愛は特別なものじゃない
2006年5月3日コメント (5)某嬢の日記にインスパイアされまして。
ふと思いついたことなど。
この年になったせいなのかどうかはよく分かんないけど、俺、いわゆる世間に蔓延ってる「恋愛至上主義」みたいなヤツがどうしても好きになれなくて。
恋愛と言っても、大きな括りで言えば友情とか親子同士の間柄とか先輩後輩とか、そういう「対人関係」で括れると思うんです。
つまり、行き着くところは「人対人」といいますか。
それがたまたま年頃の男と女になって、お互いの中に「好き」という恋愛感情が含まれて事態がややこしくなっているとでも言いますか。
恋愛は素晴らしい。尊い。貴重なものだ。
そういう物言いが許されるならば、同じように親子関係も友情も上下関係も素晴らしいものだと思います。
どれもこれも皆、時の流れと場所の流れを運命によって振り分けられて、その中で巡り合うことが出来た者同士しか結ぶことの出来ない、ある種の偶然に支配された特別で貴重なものだと思ってます。
まぁそれは、ある意味いがみ合う者同士にも言えることですが。
世界中には、喧嘩したくても出来ないまま終わってしまう人間もいっぱいいるからね。
要するに、人と人が出会って、ある種の関係性を結ぶに至るってことはすげー偶然で、自分で何とかしようと思っても出来ないところもあったりして。
そういうものだと思ってます。人と人が出会うということは。
だから、恋愛だろうが親子だろうが友達同士だろうが、お互いの関係性を良いもののまま続けていく上で大事なことは、「人と人とが良好な関係性を保ったまま関わりを持ち続けていくにはどうしたらいいのか」ってことに行き着くと思うんです。
恋愛だけが特別なテクニックがあるわけじゃない。
仮にそういうものがもしあるのだとしたら、それは恋愛に限った話じゃなく、たとえば親子同士とか友達同士とか、そういう関係性の中でも通じないとダメなんじゃないの?ってことなんです。
はっきり言ってこういう恋愛別格主義が広まりすぎた原因は雑誌とかメディアのせいだと思ってるんですけどね。
メディアが恋愛を特別扱いして、こぞってハウツーものなんかを取り上げて恋愛のみにある種の戦略性を見出してきたことが、世に広く充満する「恋愛=特別なもの」的価値観を生み出したと思ってるんですが。
「戦略性」と書きましたが。
俺はある意味、友情や親子関係や上下関係なんかにも「戦略性」はあると思ってます。
それは意識せずとも誰しもが普段の生活の中で行っているだけのことで。
例えば野球のネタに詳しくない人が友達にいたとして、その人と一緒にいる時は野球の話はしないようにしよう、とか考えるのも、その人との友情を悪化させないための「戦略」ですよね。
そういうことはいちいち明文化したり定義付けしたりしなくても、誰もが普段暮らしている中で接する人との関係性の中で身に付けていく知恵だと思ってます。
そろそろまとめましょうか。
恋愛だろうが友情だろうが親子だろうが。
同姓だろうが異性だろうが。
年上だろうが年下だろうが同い年だろうが。
人対人との関係性の間に、優劣も階層も優先順位もない。
全ての基本が「人対人」であり、人と人とが付き合っていく中で「得意」も「苦手」も特別なテクニックもない。
もしそういう物言いがあるのなら、同じように親子関係にも友情にも、つまりは人間関係全てに当てはまるはず。
恋愛が上手くいかないなら、同じように身近な人間関係を見直してみて、反省点を探してみてはいかがでしょう?
つまりはさ、「もっとシンプルに考えようよ」ってことなんですよ。
誰かのことを大切に思うなら、その人に何をしてあげることが大事なことだと思うの?
そして、その事は性差も年の差も関係性のカテゴリーも関係のないことなんじゃない?
テクニックに溺れた関係性などくそくらえ。
どういった関係であれ大切なのはその人を思う気持ちであり、その思いをいかに相手に伝えるか、だと思ってます。俺は。
ふと思いついたことなど。
この年になったせいなのかどうかはよく分かんないけど、俺、いわゆる世間に蔓延ってる「恋愛至上主義」みたいなヤツがどうしても好きになれなくて。
恋愛と言っても、大きな括りで言えば友情とか親子同士の間柄とか先輩後輩とか、そういう「対人関係」で括れると思うんです。
つまり、行き着くところは「人対人」といいますか。
それがたまたま年頃の男と女になって、お互いの中に「好き」という恋愛感情が含まれて事態がややこしくなっているとでも言いますか。
恋愛は素晴らしい。尊い。貴重なものだ。
そういう物言いが許されるならば、同じように親子関係も友情も上下関係も素晴らしいものだと思います。
どれもこれも皆、時の流れと場所の流れを運命によって振り分けられて、その中で巡り合うことが出来た者同士しか結ぶことの出来ない、ある種の偶然に支配された特別で貴重なものだと思ってます。
まぁそれは、ある意味いがみ合う者同士にも言えることですが。
世界中には、喧嘩したくても出来ないまま終わってしまう人間もいっぱいいるからね。
要するに、人と人が出会って、ある種の関係性を結ぶに至るってことはすげー偶然で、自分で何とかしようと思っても出来ないところもあったりして。
そういうものだと思ってます。人と人が出会うということは。
だから、恋愛だろうが親子だろうが友達同士だろうが、お互いの関係性を良いもののまま続けていく上で大事なことは、「人と人とが良好な関係性を保ったまま関わりを持ち続けていくにはどうしたらいいのか」ってことに行き着くと思うんです。
恋愛だけが特別なテクニックがあるわけじゃない。
仮にそういうものがもしあるのだとしたら、それは恋愛に限った話じゃなく、たとえば親子同士とか友達同士とか、そういう関係性の中でも通じないとダメなんじゃないの?ってことなんです。
はっきり言ってこういう恋愛別格主義が広まりすぎた原因は雑誌とかメディアのせいだと思ってるんですけどね。
メディアが恋愛を特別扱いして、こぞってハウツーものなんかを取り上げて恋愛のみにある種の戦略性を見出してきたことが、世に広く充満する「恋愛=特別なもの」的価値観を生み出したと思ってるんですが。
「戦略性」と書きましたが。
俺はある意味、友情や親子関係や上下関係なんかにも「戦略性」はあると思ってます。
それは意識せずとも誰しもが普段の生活の中で行っているだけのことで。
例えば野球のネタに詳しくない人が友達にいたとして、その人と一緒にいる時は野球の話はしないようにしよう、とか考えるのも、その人との友情を悪化させないための「戦略」ですよね。
そういうことはいちいち明文化したり定義付けしたりしなくても、誰もが普段暮らしている中で接する人との関係性の中で身に付けていく知恵だと思ってます。
そろそろまとめましょうか。
恋愛だろうが友情だろうが親子だろうが。
同姓だろうが異性だろうが。
年上だろうが年下だろうが同い年だろうが。
人対人との関係性の間に、優劣も階層も優先順位もない。
全ての基本が「人対人」であり、人と人とが付き合っていく中で「得意」も「苦手」も特別なテクニックもない。
もしそういう物言いがあるのなら、同じように親子関係にも友情にも、つまりは人間関係全てに当てはまるはず。
恋愛が上手くいかないなら、同じように身近な人間関係を見直してみて、反省点を探してみてはいかがでしょう?
つまりはさ、「もっとシンプルに考えようよ」ってことなんですよ。
誰かのことを大切に思うなら、その人に何をしてあげることが大事なことだと思うの?
そして、その事は性差も年の差も関係性のカテゴリーも関係のないことなんじゃない?
テクニックに溺れた関係性などくそくらえ。
どういった関係であれ大切なのはその人を思う気持ちであり、その思いをいかに相手に伝えるか、だと思ってます。俺は。
コメント
出会いこそ奇跡なのではないでしょうか。もちろん友達に関してもね!
合コンだろうがナンパだろうが、出会うってことはすげーことだと思うので。
むしろこの日記でdisrespectしたいのは恋愛におけるマニュアル偏重主義とでも申しましょうか。
簡単に言えば、「人付き合いにやり方もくそもねぇだろ!」ってことで。
それを仰々しく書いただけのことでござい。
いやーようこそ。最近はレアな方が多くいらっしゃいますなーw
てかねー、「こうあるべき」なんてものは一部の倫理観以外には一切ないと俺は思ってるんだよ。恋愛に限らず。
自分を縛るだけなら理想なんて捨てちまえ!楽に生きて何が悪い!って思うんだよね。
全て、あるがままに。まさに「Let it be」ですよ。