民主党
2006年4月4日今更ですが、すごく揉めてますね。
まぁあれだけのことをやったんだから当たり前っちゃ当たり前ですが。
今度の党首は誰になるのでしょ?
個人的には、もう管さんにはすっ込んでいて欲しいのですがw
でも対抗馬が小沢さんじゃなぁ。。。
仮にどちらか一方になったとしても、変わり映えなさそうな希ガス。
・・・・・・
でも、個人的には、これからの民主党は面白くなるんじゃないかな、と思ってます。
メール問題や何やで、散々世間からバッシング食らって、
面子丸つぶれの状態で党首交代となって、たくさん恥をかいて。
分野は何であれ、そういうどん底の局地から這い上がろうとする時の力は凄いものがあります。
これは俺にも当てはまることですが、
人って生き物は、やっぱどこかエゴイストで、
心のどこかで「自分が一番可愛い」と思っているもので。
ある意味、「自分だけは恥をかきたくない」って思いながら、日々生活しているんじゃないかなと思います。
誰しも心の中に、自分だけが持つ妙な“プライド”を抱えながら生きているんじゃないかな。
今回の事態に追い込まれる前の民主党は、どこか一様にそういった「ええ格好しい」精神で自己防衛を計りながら国会に参加していたのではないかな、と思います。
そういう、大して意味のないプライドが誰かによって打ち砕かれた時、人間は大いに恥をかきます。
時にそれは、今まで自分が築き上げてきた「自分像」というものを根底から覆さざるを得ないほどの衝撃を伴って。
つまりそれは、自分が“プライド”という外壁で守ってきた素の自分を世間にさらけ出すこととイコールとなると言えるかもしれません。
そうなった人間はひどく落ち込み、狼狽し、ショックを受けると思います。
しかし、一通り落ち込んだ後、その人の胸に去来するものは「この恥を何としてでも取り返したい」という強烈なまでの反骨心です。
こうなった時の人間ほど、知性と度胸と行動力が伴った存在はいません。
そういう人はみな一様に、一見してわかるほど目の色が変わります。
そういう人の心の中には、自分自身のプライドを取り返すまでは何があっても揺るがない強靭な信念と精神力が宿ります。
そういった領域に辿り着いた時、初めて人は「変わる」ことが出来るのではないでしょうか。
まぁ、これは僕自身の経験と見聞に照らし合わせた結果の自論なので、中には全く立ち直れないまま衰退していく人もいますが。
・・・・・・
何が言いたいかというと。
「人間、恥をかくまで変わらない」
ということです。
“聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥”という言葉がありますが、
恥をかくことによって、人間は成長し、大きくなっていくんじゃないかな、と思います。
逆に言えば、一時の恥を恐れていては永久にあなたは変わりませんよ、ということなのです。
もちろん、恥をかくことは大いなる精神の疲弊を伴いますが、それと同時に強靭な精神力を得ることが出来ます。
もし強くなりたいのなら、恥を恐れずがむしゃらに行動しろよ、と。
恥を恐れて現状維持に努めていては、何も変わらないし、何も生まれない。
ただ、悶々とした気持ちを解消できずに、いつもと変わらない明日が来るだけ。
それがイヤなら、どんどん恥をかいて、どんどん前へ進んでいくべきなんじゃないかなって、俺は思います。
まぁ、これは自分自身への戒めの意味も込めまして。
まぁあれだけのことをやったんだから当たり前っちゃ当たり前ですが。
今度の党首は誰になるのでしょ?
個人的には、もう管さんにはすっ込んでいて欲しいのですがw
でも対抗馬が小沢さんじゃなぁ。。。
仮にどちらか一方になったとしても、変わり映えなさそうな希ガス。
・・・・・・
でも、個人的には、これからの民主党は面白くなるんじゃないかな、と思ってます。
メール問題や何やで、散々世間からバッシング食らって、
面子丸つぶれの状態で党首交代となって、たくさん恥をかいて。
分野は何であれ、そういうどん底の局地から這い上がろうとする時の力は凄いものがあります。
これは俺にも当てはまることですが、
人って生き物は、やっぱどこかエゴイストで、
心のどこかで「自分が一番可愛い」と思っているもので。
ある意味、「自分だけは恥をかきたくない」って思いながら、日々生活しているんじゃないかなと思います。
誰しも心の中に、自分だけが持つ妙な“プライド”を抱えながら生きているんじゃないかな。
今回の事態に追い込まれる前の民主党は、どこか一様にそういった「ええ格好しい」精神で自己防衛を計りながら国会に参加していたのではないかな、と思います。
そういう、大して意味のないプライドが誰かによって打ち砕かれた時、人間は大いに恥をかきます。
時にそれは、今まで自分が築き上げてきた「自分像」というものを根底から覆さざるを得ないほどの衝撃を伴って。
つまりそれは、自分が“プライド”という外壁で守ってきた素の自分を世間にさらけ出すこととイコールとなると言えるかもしれません。
そうなった人間はひどく落ち込み、狼狽し、ショックを受けると思います。
しかし、一通り落ち込んだ後、その人の胸に去来するものは「この恥を何としてでも取り返したい」という強烈なまでの反骨心です。
こうなった時の人間ほど、知性と度胸と行動力が伴った存在はいません。
そういう人はみな一様に、一見してわかるほど目の色が変わります。
そういう人の心の中には、自分自身のプライドを取り返すまでは何があっても揺るがない強靭な信念と精神力が宿ります。
そういった領域に辿り着いた時、初めて人は「変わる」ことが出来るのではないでしょうか。
まぁ、これは僕自身の経験と見聞に照らし合わせた結果の自論なので、中には全く立ち直れないまま衰退していく人もいますが。
・・・・・・
何が言いたいかというと。
「人間、恥をかくまで変わらない」
ということです。
“聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥”という言葉がありますが、
恥をかくことによって、人間は成長し、大きくなっていくんじゃないかな、と思います。
逆に言えば、一時の恥を恐れていては永久にあなたは変わりませんよ、ということなのです。
もちろん、恥をかくことは大いなる精神の疲弊を伴いますが、それと同時に強靭な精神力を得ることが出来ます。
もし強くなりたいのなら、恥を恐れずがむしゃらに行動しろよ、と。
恥を恐れて現状維持に努めていては、何も変わらないし、何も生まれない。
ただ、悶々とした気持ちを解消できずに、いつもと変わらない明日が来るだけ。
それがイヤなら、どんどん恥をかいて、どんどん前へ進んでいくべきなんじゃないかなって、俺は思います。
まぁ、これは自分自身への戒めの意味も込めまして。
コメント