レポートの合間に更新。

……

最近は何を勉強するにしても、その中に必ず「教育学から見た観点」を取り入れるようにしてる。

というのも、1年の時の教育学概論の授業で「教育とは誰もが経験している分、実際勉強したり討論したりする際に主観に陥りやすい」と言われたが、その言葉を今更ながら思い出し、4年になって卒業する時にまだそのレベルを脱してないとしたら俺の4年間が無駄になる、と思ったからだ。

そんなのは居酒屋で酔っ払ってるおっさんでも出来るレベルなわけで。
やはり教育学科に籍を置く以上、今後どんな道を歩むにせよ「教育学」をある程度自分の中で学際的に体現できるようにしないと、4年間その道の“プロ”として歩んだ意味がなくなる。

まぁ、これで飯を食っている人からすれば今俺らがやっている勉強なんかまだまだ序の口レベルなんだろうが、それでも4年という貴重な時間を費やして専門的に勉強した人間が何かしらの「専門性」を身に付けていないのはあまりに恥ずかしいと俺は思う。

だから今後、自分の思考の中に一本、「教育学」という明確な軸を設け、それを中心に考えていこうかな、と。

……

以前所属していた大学では、我ながらこういう姿勢が足りなかったな、と今更思う。

「大学生である自分」というアイデンティティはあったつもりだけど、「英語学科に籍を置く大学生の自分」というアイデンティティは皆無に等しかった。
だから勉強に意味が見出せず、何となく実りのない時間を費やしたように思う。

もちろん、そこでしか身につけられなかった知識はたくさんあるし、そこでしか出会えなかった人はたくさんいる。
しかし、何か自分の中に一つの明確な“軸”がなかったように思う。

そのことにもっと早く気付いていればまた違った道を歩んでいたかもしれないが、しかし今気付いたからこそ今の俺があるのも事実。
ふてくされたり泣き言をいう暇はない。今はただ歩き続けるだけ。

……

晩飯終了。

つーかあれね、何でもやる前から「こんなん社会に出てから役に立たないしぃ〜」とか言うの、あれ、ナシね。

あんなん努力しない怠け者の言い訳だと思ってますから。
未来を予知できるなら話は別だけど、誰だって将来がどうなるのかなんてわからないでしょ?

勉強にしろ趣味にしろ仕事にしろ、自分から「何かを吸収して身に付けてやろう」って気持ちを持たない人は何をやってもつまんないですよ。
逆に言えば、そういう姿勢を持つことが出来たら、身の回りのあらゆるものが教材になる。

何に対しても取り組む前から能書きを垂れる人より、恥をかこうが間違っていようが、自分の頭で考え、時には愚痴ったりぼやいたりしながらもまず実行してみる人が、俺にはたまらなく愛しく思えます。

今自分がやってることが役に立つ/立たない なんてことは、後からゆっくり振り返ればいいことで。
自分の行く末が分からない時だからこそ、何でもまずやってみることが大事なんじゃないかなぁと思います。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索