今日は成人式ですね。

俺が成人式を迎えたのは、今から8年前でした。
何だかすげー昔のような気もするし、あっという間だったような気もします。

・・・

8年前の自分を思い出すと、顔が真っ赤になるほど恥ずかしい。

・・・

8年前の自分は、生き方が“real”じゃなかった。

自分なりの夢や理想を追いかけていたけど、現実が伴っていなかった。
現実の自分との折り合いが上手くつけられず、逃げてばかりいた。

“全ての原因は自分にある”
そんな当たり前のことから目を逸らし、「悪いのは俺じゃなくて周りだ」と信じてやまなかった。



──やがて時が経ちそのツケが徐々に自分の身に降りかかってきても、一層他者に対する不信感を強めるだけで、自分を改善しようとしなかった──。



・・・

今だから言えること。

何もかもにツッパっても格好がつくのは10代までです。

周囲の人間との和を大切にし、現実を受け止め、迎合し、その中でいかに自分の信念を打ち出し、それを曲げることなく貫き通せるかが、20代からの格好いい「ツッパリ」の仕方です。

いくら高尚な大義名分を吐いても、周囲の人間が認めてくれなければそれは単なる「独りよがり」。
いくら正しいことを言っていても、周囲の人間が認めてくれなければそれは単なる「屁理屈」。



自分を活かしてくれるのは「自分の才能」ではなく「周囲の人間」です。



時にはぶつかってもいいと思う。
だけどやっぱり、最終的には何らかの形で「受け入れて」いこうとしなくちゃ。

自分を高めていくこともいいことだと思う。だけど同時に、周りの人間に認められていかないと、上手くいかないことっていっぱいあるよ。そう思います。

・・・

こういう考え方も、ある意味「逃げてる」のかもしれない。


だけど、それでいいよ。

俺は一人では生きられない。
孤独に耐えられるほど強くない。
俺は強い人間ではないし、強がった挙句誰にも理解されないのは、もうコリゴリだ。


だから俺は、そこでツッパるのはもうやめた。


「信念を持った男であれ」とは、思う。

だけど、それと「強がる」「格好つける」のは別問題。

何かひとつ自分の中で守るべきものがあって、それを守るためには弱くて無様な自分をさらけ出すことが出来る人が、本当に強い人なんじゃないかなぁって、そう思います。

・・・

ただね、こういう考え方になったのには、そりゃあもう数々の修羅場と負け戦と屈辱の場面を、頭をかきむしり歯を食いしばりながら(大袈裟)乗り越えてきたからであって、そういう意味では、今の俺には「過去」は絶対必要だった。

だから何となく、「今を“器用に”生きられてないなぁ。」と思う人も、絶対に大丈夫。
ある時いきなり、全てが糧になる時がくるから。


それまでは、後先考えずに色んなことに情熱を向けて、いっぱい遠回りしたり、挫折を味わったり失敗をしたりして。
そんなのもいいんじゃないかなぁって、ホントそう思います。

あんまり年長者ぶってモノゴトを言うのって好きじゃないんだけど、これだけは言えるから。マジで。



だから俺も、早く落ち着かないとね。。。

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