ゲイジュツたるもの

2005年12月23日
こないだフィギュアスケート見てたんです。

で、その時にふと耳にしたんですが、何だか最近のフィギュアスケートは採点方法が昔とだいぶ変わったらしいですね。

早い話が、加点と減点のシステムがより具体化され、点数の付け方が言ってみればマニュアル化したとのこと。
これは昔の採点方式からの反省らしく。

ちなみにその昔の採点方式では、「芸術点」という項目が審査員の主観によってだいぶ違ってくるので、その採点結果で不平等が出ないように今のシステムに変更したらしいです。

駆け足で説明しましたが、たぶん伝わっていないでしょうw
詳しいことを知りたい方はそういうのを扱っている専門サイトに行ってください(爆

・・・

で、ここからが本題。

そもそも俺は、芸術とは主観的なものであると思ってます。
だから評価がバラバラであるのは仕方のないことであり、多少の不平等はあって当たり前、ぐらいに思ってます。

小学生の鼓笛隊の演奏にハッとさせられる時もあれば、BEATLESの曲を「何だこの曲。ダセェなぁ。」と思う時もある。

つまり、評価をマニュアル化する行為ってのは、フィギュアスケートを「氷上の芸術・アート」として見た時にどうなの?ってのが一番の疑問なわけで。

・・・

あらゆる芸術の評価方法をマニュアル化したら?

・・・

なら何かい。

1秒間に○○回以上スネアを叩けばそのバンドは素晴らしいってことかい。
○○色以上の色を使って絵を描けば技術は稚拙だろうが素晴らしい絵画ってわけかい。
このシーンとこのシーンとこのシーンを盛り込めばその映画は文化的遺産になるんかい。

・・・

そういうもんじゃねーだろと。

ふと耳にしたメロディや歌詞に、何気なく覗いた美術館の一枚の絵画に、深夜にたまたま放送されていた映画の1シーンに「ハッと」させられることが“芸術に感動する”ってことちゃうんかい。

その「ハッと」は、言葉では言い表せない、理屈では伝えきれない、その人にしかわからない“何か”であると思う。
それが“主観”であり、芸術に感動する必要不可欠にして最大の条件なのではないかな、と。

その部分を省き、あらゆる項目をマニュアル化し、計算された“感動”を競わせるようになったフィギュアスケートは、果たして「氷上の芸術」なのだろうか。

・・・

俺は、フィギュアスケートはスポーツではないと思う。

もちろん、競技する人のスケートに関するスキルを競う、という意味ではスポーツなのかも知れないけど、それ以上に「競技者の感性を武器に見ている人に“何か”を訴える」ことの方が比重が大きいと思う。
そういう意味では、スポーツというよりは芸術である、という認識の方が強い。

しかし、こう採点方法がマニュアル化されたら、それも撤回せざるを得ないかもね。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索