浮き沈み

2005年11月14日
ここのblogでは結構頭でっかちなことばかり書いている俺ですが、別に毎日小難しいことばかり考えているわけではありません。
確かにテンションによってはそれこそ一つのことを朝から晩までひたすら考えることもありますが、そうではない、くだらないことでゲラゲラ笑いながら何となくダラダラとしたくなる日も普通にあります。


何が言いたいかというと。

今日のblogは何も書くネタがありませんよってことで。


えぇ言い訳ですが何か?w
てかね、今年の夏からこのblogをつけ始めたわけなんですが、たま〜に自分がどういったことを書いてきたのか、とか気になって、ふと過去の自分の日記を読み返してみたりするわけですよ。

で、いつも思うのが、
俺の日記って大学生の日記じゃねーよな」ってことなんです(爆)

とりあえず文章長すぎ!
そのくせ要領良くまとめようとしないし思いつくままに書いちゃうから内容の濃さが比例してなさすぎ!
あと内容そのものがあまりに非現実的すぎ!w

友達なくすぞ。気をつけろw>俺


そういえば、先週の土曜日に放送されていた『たけしの日本教育白書』。
みなさん見ましたか?

あそこで教育を熱く語るタレントは、たぶん今の大学の今の学科に入学した当時の俺達の姿そのまんまだったと思うんです。

「教育学は自らの経験で語るゆえに主観に陥りやすい」と、教育学概論のK本先生が一発目の授業で言ってましたが、『たけしの〜』で語っていたゲストタレントのほとんどが主観で語りまくり。
まだ勉強し始めて1年半ほどしか経ってないから俺だってまだまだ未熟者だろうけど、ゲストのそういった行為に気付けた分だけ少しは成長したのかな、と思ってみたり。

なんか、最近思うんですが。
教育学を突き詰めて行けば行くほど、最終的には「人間とはこうあるべき」という、いわゆる倫理観・価値観の問題に落ち着いてしまうんではないのかなぁって気がするんです。

そんなものは人それぞれ違うってことはこのblogで散々書いてきたことなんですが。
そう考えると、教育学の行き着く先はどこになるんだろう?って、ふと気になったりするんですよね。

だから、「理想の教育」ってモノを作るには、まず社会で統一された「理想の人間像」ってモノを創造しないと本末転倒というか、どのみち堂々巡りになるような気がするんです。

これだけ人口が増え価値観が多様化した今の日本でそういったものを確立するのは相当至難の業です。
そうなると、もう宗教とか、倫理観とか、とにかく大きくてユニバーサルなものを突き詰めていくしかないわけで。

それって果たして教育学と言えるのかと。
個人的には、そんなことを考えながら勉強をしています。

俺達は、何を追い求めて勉強しているんですかね。
ふと気になりませんか?教職志望の皆さん。

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