←今日はこの本を買いました。

この本を選んだ理由は特にありません。
何となくフィーリングで選びました。

まだ全然読んでいないので、感想はいつか書きます。


ちょっと前にうちの学科の有志が参加している掲示板で“死”についての?議論がされたことがあります。

“死”というとあれですが、まぁ要するに「なぜ人を殺しちゃいけないの?」という題目で。

俺個人の意見を言わせてもらうと、人を殺してはダメだと思います。

それは特に理由があるわけではなく、俺の中ではもはや“常識”のレベルでの認識。

「常識を疑う」というキャッチフレーズがついた授業がうちの大学にもあります。

でも、疑っちゃいけない“常識”もあるんじゃないかなと。

それを疑うことで世の中がおかしくなる“常識”ってのが世界にいくつもあると思います。
それは言い換えれば“タブー”というやつで。

“タブー”を覆し、世の中のあらゆる条理を投げ捨てたところで、余計みんなが生活し辛くなる世の中が生まれるだけ。
だったら、手の平で踊らされている状態でいいじゃない。

それでみんなが楽しく暮らせるなら、俺は何も疑いませんよって、そういう話です。



俺の小学校や中学校の知り合いにも、今の俺の年齢に達する前に死んでいってしまった人が何人かいます。

その時、俺は“死”についてもの凄く考えました。

友人の亡骸に対面しながら、「それでも俺は生きている」と強く実感しました。

人が「生きている」ことに、どれだけの意味があるのでしょうか。
志半ばで逝ってしまったヤツがいながら、どうして俺はおめおめと生き延びているのでしょうか。

俺はまだ確固たる人生の目標も、「こうあるべき」という自分の美学も、何も確立していません。
そんな俺が生き延びて、どうしてこいつらが死んでしまったのだろう。

そんなことを考えながら、眠れない夜を何日も過ごした事もありました。
頭をかきむしって、嗚咽を上げながら、死に物狂いで必死になって考えたこともありました。

ここでそのことに対する答えが書ければカッコいいのかも知れないですが、正直俺にはまだその答えは見つかってません。

だけど、それもまた「生きること」なんじゃないかな、と。

世界には何十億人もの人がいます。
「俺」という存在は、言ってみればその中のごく小さいほんのわずかな存在でしかないわけで。

幸か不幸か、俺はまだ生きています。
もし俺が生きることに意味があるとしたら、「生きることで得られる目的」なんてものは存在しない。
ただ、「生きていること」そのものが目的なんじゃないかなって。

だから、「生きている」だけで俺は俺の人生の目的を達成しながら、そしてそれは今も達成中のまま生き長らえている。

「生きること」の先に目的があるんじゃない。
目的そのものが「生きること」なんじゃないかなって。
俺はそう思います。

そう考えるようになってから、俺は生きることを謳歌するようになりました。

「死んでいったヤツの分まで・・・」なんてカッコいいことは、今の俺には言えないかも知れない。
だけどいつか言うことができる時が来たら。

かけがえのない人との永遠の別れを経て、俺が得た結論は、そういうことでした。

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