勝ち組・負け組

2005年10月4日
今日の朝、駅のベンチで、高校生と思しき二人組がクラスメートについての話題でおしゃべりをしていました。

別に聞き耳を立ててたわけじゃないんですが、たまたま隣に座っていたので会話の節々が一部聞こえてしまい・・・。

で、何を話してたかというと。
何でもその二人はそのクラスメートにあまり好意的な感情を持っていないらしく、けっこう香ばしいことを言ってました。

これは聞いてはいけないな、と思い、その場を立ち去ろうとした時、二人組の片割れがこうのたまいました。

あいつはさ、しょせん負け組だからしょうがねーよ。


今日はこのネタに噛み付かせていただきます。


“勝ち組”って何でしょ?“負け組”って何でしょ?

ちょっと前に「負け犬」なる言葉が流行しましたが、それよりも前から長いこと日本には何かと“勝ち組・負け組”なる概念が蔓延っているようで。

でも、誰も明確な基準がわからないままこの話題を取り上げているように、俺には思えます。

そもそも他人の人生を勝ちと負けで区切る境界線なんてあるの?

例えばジャンケンとか、明確なルールがある場合、誰の目で見ても勝ちと負けがはっきりしてますが、人生においてはそういったルールはなく、結局の所そういった判断を下す誰かの価値観でしか勝敗を付けられないわけで。

価値観が一元的なものなら、その基準で裁けば分かりやすいでしょう。

しかし、当たり前ですが人の価値観は人それぞれです。

今日の晩飯に食べたいものといった好みの問題から、何が正しくて何が間違ってるかといった倫理観に至るまで、その価値観は本当に多様です。

それなのに、自分一人の価値観で他人の人生をカテゴライズしようとする。

俺が“勝ち組・負け組”という言葉に反感を抱いている理由はただそれだけです。

世間で言われている「負け犬」とは、いわば「30代で独身、子供なしの女性」のことを指しているという解釈をされていますが(違ったかな?)俺の知り合いでその条件を満たす人もいっぱいいるけど、みんな俺が知らないような色んな情報を知っていて、純粋に「カッコいいなぁ」と思うし、尊敬できる。

日本人てのは須らく、序列好きで、自分より下位にいる存在を見つけることと、自分の価値観が主流であることに安心感を抱く人種であるように思います。

だからいちいち人の人生に勝ちだの負けだのと口を挟んでくるんですかね。よく分かんないけど。



ちなみに俺は、自分が勝ち組であるか負け組であるかはよく分かりませんが、いわゆるステレオタイプ的な分別で“勝ち組”か“負け組”かで分けるのだったら、おそらく負け組に位置すると思います。

28になって結婚もしていない。
定職にもついていない。
自立もせず、実家でのうのうと暮らしている。

ははは。自分で書いてて情けなくなってきたわ(笑)

でもね。
言い訳かもしれないけど、俺が考える“勝ち負け”は、そういうんじゃないんだよ。

社会的地位や身分がどうであれ、自分が正しいと思ったことを貫いて生きている人。
誰にも負い目を持たず、自分一人で自分の人生に責任を持って生きている人。
経済的な面で言えば、自立して自分の稼ぎで自分を養っていけている人。

そういう人が、勝ちか負けかはともかく、「正しい生き方をしている人」だと俺は思います。

親の保護下でのうのうと暮らしているくせに他人の人生を勝ちか負けかで区別しようとする高校生や、社会に出ているわけでもないのに高学歴を鼻にかけて我が物顔で偉そうにふんぞり返って歩いている大学生を見ると、顔面に唾を吐きかけたくなる。

お前ら、しょせん甘ったれじゃねぇか。

人一人養えないで、知ったかぶれで人生悟った気でいるんじゃない。


まぁしつこいようですが、そういう俺も今は負け組です(笑)

でも、今に見てろよという気持ちは今の大学に通い始めた頃から心に持っている。

確かに今の俺は負け組かもしれない。

でも、10年後、“自分”というでっかい名刺を持ち歩いて、誰よりもふんぞり返って堂々と生きてやる。

そういうある種の反骨心みたいなものが、俺が大学生活を続けていく上でのモチベーションのようなものになっているのは事実です。

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