「四球より打たれたほうがまし」に異論 神大教授が分析 [朝日新聞]
2005年9月17日 時事ニュース
まぁ詳しくは、←のアイコンをクリックして見てくださいってことで。
イチ野球ばかとして、ツッコミ入れさせてもらいます。
◆ツッコミ所その1:「先頭打者の四球」を細分化していたのか?
「先頭打者に四球を与えた回」とあるけど、これはまずどの打者に四球を与えたかによってその後の展開も大きく変わると思うんです。
例えば、先頭打者が阪神の赤星だった場合。
彼は足が速いですから、当然投手はそのことに気を使って投げなければならず、普段とは違い慎重な投球を要求されるでしょう。
その後も上位打線との対戦などが待ち受けており、投手側に求められる技術、精神力は相当なものだと思います。
ところがこれが、いわゆる下位打順の打者だった時。
野球では、下位になればなるほど上位の打者よりも打力は劣る、というのが定説です。
プロ野球で言えば、9番目の打者は投手がやってることがほとんど。彼らには打力は期待できません。
例えば、イニングの先頭の8番打者に四球を与えたところで、守る投手の方は精神的な負担をあまり強いられません。
経験上、こうした場合の先頭打者への四球はあまり精神的な動揺はなく、意外と普段通りのピッチングが出来たりもします。
このように野球には、同じ「先頭打者への四球」でも、ケースによっては全く質の異なる場合も多く見られます。
研究した側は、これらの事実に配慮をして研究をなされたのでしょうか?
非常に気になります。
◆ツッコミ所その2:安打の場合分けはどのようにしたのか?
これも要は同じことです。
この記事を読む限り、「安打」はすべて「安打」で括っているように見受けられるのですが、「安打」にも2塁打や3塁打、本塁打なんかもいわゆる「安打」です。
また、今は何回の攻撃で、先頭打者は打順何番の打者で、打たれた安打の種類は何で・・・のように、細かいシチュエーションの違いで野球というのはその後の展開が大きく変わってくる非常にデリケートな競技です。
それを一括りに「先頭打者に安打を打たれる」とされては、プレイする側としては納得いかない部分もあります。
例えば、再び経験談なんですが、個人的には先頭打者へ打たれる本塁打はあまり精神的な動揺は感じません。
ただ相手チームに1点が加えられるだけのことで、その後は「今のはコースが甘かった。次は気をつけよう」といった気持ちの切り替えが比較的早い段階でつけられ、むしろその後のピッチングに良い影響を与える場合もあります。
しかしこれが9番打者の、ボテボテの内野安打だとしたらどうでしょう。
打ち取ったはずの当たりなのにセーフ。
結果無死一塁で打順は一番へ。
投手としては、打たれた安打の内容があまり良くないだけに、気持ちの切り替えが十分に行われないまま次の打者と対戦しなければならない事態に追い込まれるかもしれません。
その後は走者に気をつけなければいけないと同時に、打者への配慮も求められます。
当然、精神的な重圧は相当なもの。
どんなにタフな投手でもいつも通りのピッチングを期待しろと言う方が酷かもしれません。
このように、様々な要因が絡むことで「先頭打者への安打」というのはその意味が大きく変わってきます。
そのあたりの場合分けをせずにこうした統計を取ること自体、非常に危険な行為と個人的には思いますが、その辺りはどうお考えでしょう?
◆ツッコミ所その3:「先頭打者へ与えた」ではなく、「同一イニングに幾つ与えた」で調べよ。
これも野球ファンを自認するなら拘って欲しいポイントです。
これも経験談ですが、例えば、イニングの先頭打者へ四球を与えたとしても、その後は四球を与えずに投げきればそのイニングに点を取られる、ということはほとんどありません。
これが逆に、先頭打者へ四球→次の打者へ四球・・・のように、同一イニングで二つ以上の四球を出した場合、ほぼ確実にそのイニングは点を取られると思います。
これは、四球を与えることで投手側がより制球を慎重にしようとする→腕の振りが小さくなり、球に本来の勢いがなくなる→打たれる といったケースが起こりやすくなるからです(それ以外にも色々ありますが割愛)。
それほど野球にとって四球というのは手痛い“ミス”であり、それゆえ投手は安打を打たれることよりも四球を出すことに慎重になるのです。
更に言えば、是非取っていただきたいデータが、「同一イニングに2本以上安打を打たれたイニングと、同一イニングに2つ以上四球を与えたイニングとの失点数の多さの比較」というデータ。
この時、「純粋に安打のみ複数打たれた場合(四球が絡まず、背負った走者がすべて安打での出塁)」という条件をつけていただきたい。
これは元野球経験者の勘ですが、同一イニングに安打を複数打たれても点を取られないケースの方が、同一イニングに四球を複数与えても点を取られないケースよりも多いと思うのですが、いかがでしょう。
もちろん、現行の野球のルールに従えば、同一イニングに安打を4本以上打たれれば失点する確率は“非常に高く”なります。
(“非常に高く”というのは、例えば投手が走者を牽制で刺したりだとか、外野手が返球で走者を刺しただとかいう、守備的な努力を一切考慮しなかった場合のことを言います。)
ただし、上述したように、四球が投手に与える精神的ダメージの大きさは相当なものがあります。
逆に安打ばかり続けて打たれても、投手は精神的なダメージをあまり負いません。
もちろんプロの投手である以上、あまりに続けて打たれるのはさすがに問題ありますが、それでもそこに四球が絡むことで、初めて投手は精神的に追い込まれ、ピッチングが難しくなっていくのです。
それくらい投手にとって四球とは“敵”であり“厄介者”であり“忌まわしき存在”なのです。
私は、「四球を与えるなら打たれた方がまし」という言葉は、野球という競技が持つ長い歴史が培った含蓄のある奥深い言葉だと思います。
それを、たかが一年間のデータのみで否定するという行為は、野球ファンとしていかがなものでしょうか。
もし私がプロ野球の投手なら、厳しいコースを付いて相手の凡打を誘うようなピッチングをする投手ではなく、ここぞという場面では純粋に力と力の対決で優劣を決めるべく、ど真ん中の直球を3球続けるような投手になりたいと思ってます。
それは何より、私の野球の美学の中に、「四球を与えるぐらいなら打たれたほうがまし」という確固たる信念があるからです。
野球は非常に奥深く、複雑怪奇な競技です。
どうかその辺りをもう一度考慮して、貴志の研究の見直しを図っていただければ幸いです。
敬具。
イチ野球ばかとして、ツッコミ入れさせてもらいます。
◆ツッコミ所その1:「先頭打者の四球」を細分化していたのか?
「先頭打者に四球を与えた回」とあるけど、これはまずどの打者に四球を与えたかによってその後の展開も大きく変わると思うんです。
例えば、先頭打者が阪神の赤星だった場合。
彼は足が速いですから、当然投手はそのことに気を使って投げなければならず、普段とは違い慎重な投球を要求されるでしょう。
その後も上位打線との対戦などが待ち受けており、投手側に求められる技術、精神力は相当なものだと思います。
ところがこれが、いわゆる下位打順の打者だった時。
野球では、下位になればなるほど上位の打者よりも打力は劣る、というのが定説です。
プロ野球で言えば、9番目の打者は投手がやってることがほとんど。彼らには打力は期待できません。
例えば、イニングの先頭の8番打者に四球を与えたところで、守る投手の方は精神的な負担をあまり強いられません。
経験上、こうした場合の先頭打者への四球はあまり精神的な動揺はなく、意外と普段通りのピッチングが出来たりもします。
このように野球には、同じ「先頭打者への四球」でも、ケースによっては全く質の異なる場合も多く見られます。
研究した側は、これらの事実に配慮をして研究をなされたのでしょうか?
非常に気になります。
◆ツッコミ所その2:安打の場合分けはどのようにしたのか?
これも要は同じことです。
この記事を読む限り、「安打」はすべて「安打」で括っているように見受けられるのですが、「安打」にも2塁打や3塁打、本塁打なんかもいわゆる「安打」です。
また、今は何回の攻撃で、先頭打者は打順何番の打者で、打たれた安打の種類は何で・・・のように、細かいシチュエーションの違いで野球というのはその後の展開が大きく変わってくる非常にデリケートな競技です。
それを一括りに「先頭打者に安打を打たれる」とされては、プレイする側としては納得いかない部分もあります。
例えば、再び経験談なんですが、個人的には先頭打者へ打たれる本塁打はあまり精神的な動揺は感じません。
ただ相手チームに1点が加えられるだけのことで、その後は「今のはコースが甘かった。次は気をつけよう」といった気持ちの切り替えが比較的早い段階でつけられ、むしろその後のピッチングに良い影響を与える場合もあります。
しかしこれが9番打者の、ボテボテの内野安打だとしたらどうでしょう。
打ち取ったはずの当たりなのにセーフ。
結果無死一塁で打順は一番へ。
投手としては、打たれた安打の内容があまり良くないだけに、気持ちの切り替えが十分に行われないまま次の打者と対戦しなければならない事態に追い込まれるかもしれません。
その後は走者に気をつけなければいけないと同時に、打者への配慮も求められます。
当然、精神的な重圧は相当なもの。
どんなにタフな投手でもいつも通りのピッチングを期待しろと言う方が酷かもしれません。
このように、様々な要因が絡むことで「先頭打者への安打」というのはその意味が大きく変わってきます。
そのあたりの場合分けをせずにこうした統計を取ること自体、非常に危険な行為と個人的には思いますが、その辺りはどうお考えでしょう?
◆ツッコミ所その3:「先頭打者へ与えた」ではなく、「同一イニングに幾つ与えた」で調べよ。
これも野球ファンを自認するなら拘って欲しいポイントです。
これも経験談ですが、例えば、イニングの先頭打者へ四球を与えたとしても、その後は四球を与えずに投げきればそのイニングに点を取られる、ということはほとんどありません。
これが逆に、先頭打者へ四球→次の打者へ四球・・・のように、同一イニングで二つ以上の四球を出した場合、ほぼ確実にそのイニングは点を取られると思います。
これは、四球を与えることで投手側がより制球を慎重にしようとする→腕の振りが小さくなり、球に本来の勢いがなくなる→打たれる といったケースが起こりやすくなるからです(それ以外にも色々ありますが割愛)。
それほど野球にとって四球というのは手痛い“ミス”であり、それゆえ投手は安打を打たれることよりも四球を出すことに慎重になるのです。
更に言えば、是非取っていただきたいデータが、「同一イニングに2本以上安打を打たれたイニングと、同一イニングに2つ以上四球を与えたイニングとの失点数の多さの比較」というデータ。
この時、「純粋に安打のみ複数打たれた場合(四球が絡まず、背負った走者がすべて安打での出塁)」という条件をつけていただきたい。
これは元野球経験者の勘ですが、同一イニングに安打を複数打たれても点を取られないケースの方が、同一イニングに四球を複数与えても点を取られないケースよりも多いと思うのですが、いかがでしょう。
もちろん、現行の野球のルールに従えば、同一イニングに安打を4本以上打たれれば失点する確率は“非常に高く”なります。
(“非常に高く”というのは、例えば投手が走者を牽制で刺したりだとか、外野手が返球で走者を刺しただとかいう、守備的な努力を一切考慮しなかった場合のことを言います。)
ただし、上述したように、四球が投手に与える精神的ダメージの大きさは相当なものがあります。
逆に安打ばかり続けて打たれても、投手は精神的なダメージをあまり負いません。
もちろんプロの投手である以上、あまりに続けて打たれるのはさすがに問題ありますが、それでもそこに四球が絡むことで、初めて投手は精神的に追い込まれ、ピッチングが難しくなっていくのです。
それくらい投手にとって四球とは“敵”であり“厄介者”であり“忌まわしき存在”なのです。
私は、「四球を与えるなら打たれた方がまし」という言葉は、野球という競技が持つ長い歴史が培った含蓄のある奥深い言葉だと思います。
それを、たかが一年間のデータのみで否定するという行為は、野球ファンとしていかがなものでしょうか。
もし私がプロ野球の投手なら、厳しいコースを付いて相手の凡打を誘うようなピッチングをする投手ではなく、ここぞという場面では純粋に力と力の対決で優劣を決めるべく、ど真ん中の直球を3球続けるような投手になりたいと思ってます。
それは何より、私の野球の美学の中に、「四球を与えるぐらいなら打たれたほうがまし」という確固たる信念があるからです。
野球は非常に奥深く、複雑怪奇な競技です。
どうかその辺りをもう一度考慮して、貴志の研究の見直しを図っていただければ幸いです。
敬具。
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