ということで、先週末は弟の結婚式でした。

この歳になれば、他人の結婚式に招待されて出席する・・・なんて経験は初めてではないので、すでに何回か知人の結婚式には出席したことあるんですが。
その度に思うことがあるんです。


幸せってなんだろう?」って。


どの結婚式に出席しても、当事者二人は、いつも幸せそうで。
それを祝福しつつふと、「自分の幸せってなんだろう?自分にはこんな幸せな経験は巡ってくるのだろうか?」と、自問自答してみたり。

他人の幸せを祝福しに行ってるはずなのに、気付けばいつも自分の幸せを考えています。


「祝福しに行ってる」?
ひょっとしたらそれもウソかもしんない。

他人の幸せを目にする度に、心のどこかで「俺だっていつか、もっと幸せになってやる」って、密かな対抗心を燃やしている自分を、いい加減認めろよ。


一切のタブーを解禁するならば。
きれいごと抜きに語れって言うのなら。
本音の本音を言え、と言うのなら。

幸せなんてそもそも、自分勝手な感情じゃないのか?



アフリカでは栄養失調で幼い命が何千、何万と失われていくと言う。
その事実に胸を痛めることはあっても、アフリカの難民が救われることで幸せを感じる人がいますか?

中東の地で戦争が起きて、罪のない命が次々と奪われていくと言う。
その事実に憤りを感じることこそあれ、戦争が終わることに純粋に幸せを感じる人がいますか?



もし、難民の命を救うことに、戦争が終わる過程に、あなたが一役買っていたとしよう。

その時は、幸せを感じるかも知れない。

でもそれは、悲しむべき事実が終焉を迎えたことに対する幸せではなく、その過程にあなた自身が絡んだと言う、自己満足ゆえの幸せなのではないでしょうか?

あなたの手が一切関与していないところある幸せに、あなたは自分の幸せを感じますか?

それならば、何か美味しいものを食べた時、仕事で一儲けした時、好きな人と心を通わせることができた時。
そういう、自分の身に直接かかわる何かしらのハプニングが起きた時の方が、よっぽど幸せを感じませんか?

俺はずっと、そういう風に考えていました。


だけど。

今回の式の最中、満面ではないけど満たされた様子の、その奥底から甘さと芯の強さとを感じることが出来る笑顔を並べる壇上の二人を見るにつけ、

この二人には、何があっても幸せになってもらいたい。この二人が結婚できて本当に良かった。」と、心のどこかで思う自分もいたりもして。

「人間なんて、所詮エゴのかたまり」と思う自分も、自分。
「自分が一番かわいくて何が悪い?」と思う自分も、自分。

だけど、そういう風に考える自分もまた、同じように自分。


俺が望む幸せって、一体何なんだろう。
俺が望む幸せって、一体どこにあるんだろう。

俺が望む幸せって、どこにどんな風に、俺を待っててくれてるんだろう。


そんなことを考えながらも、これからの弟夫婦の行く末が、幸多かれと祈らずにいられない。

照れくさくて上手く面と向かって言えなかったけど、心からおめでとう。
幸せになってください。

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