1000hit達成!!(パチパチ)
おめでとうございます>俺
ありがとうございます>みなさん
特にドラマもない退屈な男の日常を垂れ流しているだけのこのブログが1000hitの区切りをつけることができるとわ・・・うるうる(;_;)
しかし区切りだからといって、特にありがたい話をするわけでもありません(笑)
真新しい事件があったわけでもありません。
いつものように、好きなコトを好きなように書かせてもらいます。
今日は、太宰治の話。
前に所属していた大学の一番の悪友にお勧めされて読み始めたのがきっかけで、そりゃもうどっぷりとはまりました。
一番初めに読んだのが「人間失格」。
ちょうどその頃色々あって、色んなことに悩んでた時期でもあったからでしょうか。
なんつーか、理屈抜きに「俺はこの本に出会う為に生まれてきたんだ!」って“運命の出会い”を感じました(笑)
もうね、今読み返すと情けない男なんですよ、太宰ってヤツは(笑)
でもこの小説はすごいですよ。パンチラインだらけ。
少し挙げてみましょうか。
恥の多い生涯を送って来ました。
・
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自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。
・
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世渡りの才能。…自分には、本当に苦笑の他はありませんでした。自分に、世渡りの才能!しかし自分のように人間を恐れ、避け、ごまかしているのは、れいの俗諺の「さわらぬ神にたたりなし」とかいう怜悧狡猾の処世訓を遵奉しているのと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気付かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
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世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと「世間というのは、君じゃないか。」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤでひっこめました。
(それは世間がゆるさない。)(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)(そんな事すると、世間からひどいめに逢うぞ)(世間じゃない。あなたでしょう?)(いまに世間から葬られる)(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ!などと、さまざまな言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗を、ハンカチで拭いて、「冷汗、冷汗。」と言って笑っただけでした。
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神に問う。信頼は罪なりや?
神に問う。無抵抗は罪なりや?
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・
人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
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ただ、一切は過ぎて行きます。自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一切は過ぎて行きます。
どうですか!この極上のパンチラインの数々!
さっぱり訳わからないでしょ?(笑)
ここで「ハイ、訳わかりません。」と答えた貴方。
貴方はまだ太宰治を読むべき時期ではありません。読んでもつまらないと思うのでやめておきましょう(笑)
だけど、もしこの奇特な文章に興味を持ったマイノリティーな方々。
貴方はきっと太宰治に出会うべき運命だったんです。
だまされたと思ってぜひこの『人間失格』読んでみて下さい。きっと人生観が変わります。
少なくとも俺は変わりました(笑)まじヤバイですよ。
俺は本を読むのが好きで暇を見つけては本を読むようにしているのですが、いわゆる「セカチュー」とか「いまあい」とかの現代小説にはあまり興味がもてないんです。ぶっちゃけ。
それより、明治から昭和までの近代小説のほうが個人的にすごく面白いし、そこから学ぶべきものがまだたくさんある気がして、イマイチ現代小説に取り掛かろうという気が起きない。
夏目漱石、森鴎外、石川啄木、谷崎潤一郎、宮沢賢治、芥川龍之介・・・。
好きな作家さんはたくさんいるけど、その中でも個人的にナンバー1は、やっぱり太宰治さんです。
おめでとうございます>俺
ありがとうございます>みなさん
特にドラマもない退屈な男の日常を垂れ流しているだけのこのブログが1000hitの区切りをつけることができるとわ・・・うるうる(;_;)
しかし区切りだからといって、特にありがたい話をするわけでもありません(笑)
真新しい事件があったわけでもありません。
いつものように、好きなコトを好きなように書かせてもらいます。
今日は、太宰治の話。
前に所属していた大学の一番の悪友にお勧めされて読み始めたのがきっかけで、そりゃもうどっぷりとはまりました。
一番初めに読んだのが「人間失格」。
ちょうどその頃色々あって、色んなことに悩んでた時期でもあったからでしょうか。
なんつーか、理屈抜きに「俺はこの本に出会う為に生まれてきたんだ!」って“運命の出会い”を感じました(笑)
もうね、今読み返すと情けない男なんですよ、太宰ってヤツは(笑)
でもこの小説はすごいですよ。パンチラインだらけ。
少し挙げてみましょうか。
恥の多い生涯を送って来ました。
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自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。
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世渡りの才能。…自分には、本当に苦笑の他はありませんでした。自分に、世渡りの才能!しかし自分のように人間を恐れ、避け、ごまかしているのは、れいの俗諺の「さわらぬ神にたたりなし」とかいう怜悧狡猾の処世訓を遵奉しているのと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気付かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
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世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと「世間というのは、君じゃないか。」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤでひっこめました。
(それは世間がゆるさない。)(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)(そんな事すると、世間からひどいめに逢うぞ)(世間じゃない。あなたでしょう?)(いまに世間から葬られる)(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ!などと、さまざまな言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗を、ハンカチで拭いて、「冷汗、冷汗。」と言って笑っただけでした。
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神に問う。信頼は罪なりや?
神に問う。無抵抗は罪なりや?
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人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
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ただ、一切は過ぎて行きます。自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一切は過ぎて行きます。
どうですか!この極上のパンチラインの数々!
さっぱり訳わからないでしょ?(笑)
ここで「ハイ、訳わかりません。」と答えた貴方。
貴方はまだ太宰治を読むべき時期ではありません。読んでもつまらないと思うのでやめておきましょう(笑)
だけど、もしこの奇特な文章に興味を持ったマイノリティーな方々。
貴方はきっと太宰治に出会うべき運命だったんです。
だまされたと思ってぜひこの『人間失格』読んでみて下さい。きっと人生観が変わります。
少なくとも俺は変わりました(笑)まじヤバイですよ。
俺は本を読むのが好きで暇を見つけては本を読むようにしているのですが、いわゆる「セカチュー」とか「いまあい」とかの現代小説にはあまり興味がもてないんです。ぶっちゃけ。
それより、明治から昭和までの近代小説のほうが個人的にすごく面白いし、そこから学ぶべきものがまだたくさんある気がして、イマイチ現代小説に取り掛かろうという気が起きない。
夏目漱石、森鴎外、石川啄木、谷崎潤一郎、宮沢賢治、芥川龍之介・・・。
好きな作家さんはたくさんいるけど、その中でも個人的にナンバー1は、やっぱり太宰治さんです。
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