駒大苫小牧野球部長、6月と8月に部員に暴力 謹慎処分 [朝日新聞]
2005年8月22日 時事ニュース
ほらね。
やっぱり同じようなことがありましたか。
まぁ以前の日記にも書いた通り、俺はこの手のコトはどこの高校もやってると思うので、今更驚いたりはありません。
ただ今回は、明徳義塾の時とはちょっと勝手が違うようで。
明徳の場合は部員同士の暴力だったけど、今回は部長(まぁ、監督の次にエライ人です)が部員に暴力を振るったとのこと。
だから明徳の場合と同じ次元で話を進めるのはちょっと違うなというのが個人的な意見なんですが。
両者に共通することは、少なからず学校側に隠蔽しようとした意図があったということで。
その意味では同じ次元の問題かなと。
ただ、部長が部員に対して行った行為は、果たして「暴力」なのでしょうか?
少し前に色んなメディアに取り沙汰された「体罰」に近いニュアンスがあるのではないでしょうか?
ということで、体罰の話。
皆さんは、子供の頃親に殴られた経験はありますか?
俺のオヤジはものすごく厳しい人で、何か悪さをしたらいつも殴られたし、小学校の頃とかは一時間正座とか当たり前にやってました。
だから「体罰」と言われてもイマイチピンと来ないと言うか、「悪いことしたら殴られるのは当たり前じゃない?」ぐらいに捉えてます。
でも世間的にはそんなことないのかな?
だからこの問題がいちいち取り上げられたりするのでしょうか?
体罰が良いか悪いかは、教員志望でありながら俺自身正直よく分かりません。
もちろん、必要以上の体罰はいけないことだと思う。そんなことは当たり前。
だけどさ。
「悪いことをしたら怒られる」
これは至極当たり前のことでしょ?
こんな当たり前のことが、体罰を規制していく中で、下手したらこの先通用しなくなるんじゃないのかな?
最近の教育関連のニュースなどを見てていつも思うのは、子供の権利ばかりが主張されて、学校の権利は、教師の権利はどうするの?ということ。
教師だって人の子です。ストレスも溜まれば、嫌な事だってあるだろうし。仕事がダリぃと思うこともあるでしょう。
なのに制度や時代の流れは子供の側面からしか考えていない。
時代そのものが少し過保護になりすぎているのでは?という気がしてなりません。
いや、別にいいよ。体罰を全面的に禁じたって。
だったら家庭での教育をもっとしっかりしろよ。
時には殴ってでも、良いことと悪いことの区別を自分で判断できるような子供を育ててくれよ。
そういうことまで全部ひっくるめて学校側に教育をまかせっきりで、意にそぐわぬ教育をされたら学校を訴えるのか?
教育というものは、学校と家庭、地域社会の連携があって始めて為されるもの。
俺はこの事を学校の授業を通じて学びました。
だけど今は、そのバランスがあまりにも学校側に偏りすぎてるんじゃないかな?というのが個人的感想。
「学校に全てを押し付けている」とまではいかなくても、せめて倫理面や人としてのあり方、考え方、人との付き合い方、礼儀作法、目上の人への接し方、社会を生きていくうえでのルールやマナー、そういった、勉強とは直接関係ないけど、社会に生きていくうえで大事なことは家庭と地域でもしっかり教えようよ。
ただでさえ今の日本は学力低下問題で騒がれてて、学校は勉強面に比重を置かざるを得ない状況なんだからさ。
先生が生徒を叱らなければならない局面を迎える。
↓
先生には忙しすぎて時間がない。
↓
手っ取り早く「叱る」という意図が伝わる体罰に頼る。
これが先生が体罰を使う理由なんじゃないかなと思ってます。
教育は時代と共に変貌するもの。
「昔はよく殴られた。だから今の生徒も殴れ」なんてのは極論で、ナンセンスもいいところ。
そういうことを言いたいんじゃない。
ただ、教育内容や子供の権利は時代に併せて変容してるのに、教師の権利や学校の制度・意義、機能なんかは旧態依然しかりというか、ちっとも変わってないんじゃない?
だからこういう問題が起こるんじゃないのかな?
もちろん、先生側が努力して、体罰を使わなくても生徒の悪い行いや考え方を改めることが出来るようにすることも大事だと思う。
だけど、そのための環境を回りのみんなが整えてやることも大事なんじゃないかな?
少なくとも俺はそう思います。
やっぱり同じようなことがありましたか。
まぁ以前の日記にも書いた通り、俺はこの手のコトはどこの高校もやってると思うので、今更驚いたりはありません。
ただ今回は、明徳義塾の時とはちょっと勝手が違うようで。
明徳の場合は部員同士の暴力だったけど、今回は部長(まぁ、監督の次にエライ人です)が部員に暴力を振るったとのこと。
だから明徳の場合と同じ次元で話を進めるのはちょっと違うなというのが個人的な意見なんですが。
両者に共通することは、少なからず学校側に隠蔽しようとした意図があったということで。
その意味では同じ次元の問題かなと。
ただ、部長が部員に対して行った行為は、果たして「暴力」なのでしょうか?
少し前に色んなメディアに取り沙汰された「体罰」に近いニュアンスがあるのではないでしょうか?
ということで、体罰の話。
皆さんは、子供の頃親に殴られた経験はありますか?
俺のオヤジはものすごく厳しい人で、何か悪さをしたらいつも殴られたし、小学校の頃とかは一時間正座とか当たり前にやってました。
だから「体罰」と言われてもイマイチピンと来ないと言うか、「悪いことしたら殴られるのは当たり前じゃない?」ぐらいに捉えてます。
でも世間的にはそんなことないのかな?
だからこの問題がいちいち取り上げられたりするのでしょうか?
体罰が良いか悪いかは、教員志望でありながら俺自身正直よく分かりません。
もちろん、必要以上の体罰はいけないことだと思う。そんなことは当たり前。
だけどさ。
「悪いことをしたら怒られる」
これは至極当たり前のことでしょ?
こんな当たり前のことが、体罰を規制していく中で、下手したらこの先通用しなくなるんじゃないのかな?
最近の教育関連のニュースなどを見てていつも思うのは、子供の権利ばかりが主張されて、学校の権利は、教師の権利はどうするの?ということ。
教師だって人の子です。ストレスも溜まれば、嫌な事だってあるだろうし。仕事がダリぃと思うこともあるでしょう。
なのに制度や時代の流れは子供の側面からしか考えていない。
時代そのものが少し過保護になりすぎているのでは?という気がしてなりません。
いや、別にいいよ。体罰を全面的に禁じたって。
だったら家庭での教育をもっとしっかりしろよ。
時には殴ってでも、良いことと悪いことの区別を自分で判断できるような子供を育ててくれよ。
そういうことまで全部ひっくるめて学校側に教育をまかせっきりで、意にそぐわぬ教育をされたら学校を訴えるのか?
教育というものは、学校と家庭、地域社会の連携があって始めて為されるもの。
俺はこの事を学校の授業を通じて学びました。
だけど今は、そのバランスがあまりにも学校側に偏りすぎてるんじゃないかな?というのが個人的感想。
「学校に全てを押し付けている」とまではいかなくても、せめて倫理面や人としてのあり方、考え方、人との付き合い方、礼儀作法、目上の人への接し方、社会を生きていくうえでのルールやマナー、そういった、勉強とは直接関係ないけど、社会に生きていくうえで大事なことは家庭と地域でもしっかり教えようよ。
ただでさえ今の日本は学力低下問題で騒がれてて、学校は勉強面に比重を置かざるを得ない状況なんだからさ。
先生が生徒を叱らなければならない局面を迎える。
↓
先生には忙しすぎて時間がない。
↓
手っ取り早く「叱る」という意図が伝わる体罰に頼る。
これが先生が体罰を使う理由なんじゃないかなと思ってます。
教育は時代と共に変貌するもの。
「昔はよく殴られた。だから今の生徒も殴れ」なんてのは極論で、ナンセンスもいいところ。
そういうことを言いたいんじゃない。
ただ、教育内容や子供の権利は時代に併せて変容してるのに、教師の権利や学校の制度・意義、機能なんかは旧態依然しかりというか、ちっとも変わってないんじゃない?
だからこういう問題が起こるんじゃないのかな?
もちろん、先生側が努力して、体罰を使わなくても生徒の悪い行いや考え方を改めることが出来るようにすることも大事だと思う。
だけど、そのための環境を回りのみんなが整えてやることも大事なんじゃないかな?
少なくとも俺はそう思います。
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